ハワイのお米の歴史

アメリカの中でハワイが一番の消費量と言われるスパム。

そのほとんどが ”スパムむすび”として食され、ロコは勿論 ハワイを訪れた人々にも手軽に食べれるおむすび。

皆さんが知る様に 古代ハワイアンの時代の主食は Kalo そう、タロイモです。

しかし、歴史を辿って行くとハワイでは 稲が栽培され アメリカ国内で第3位の生産量を誇った時代がありました。

今日は少し、ハワイのお米の歴史を辿って行きます。

15世紀頃のハワイの主要作物は タロイモ、パンノキ、サツマイモなどで これらは全てカヌープランツと呼ばれる ポリネシアン人が カヌーでハワイに持ち込まれたものです。

稲は、ハワイの伝統作物ではなく ハワイでは伝来していなかったもの。

しかし、18世紀後半から19世紀初頭に 日本を含む多くの移民がハワイに移住するようになり お米を主食とするアジア人が 最初に稲を栽培したのではないかと言われています。

また、別の書物に記されているのは、1858年頃からお米の試験栽培がおこなわれ、1860年代初頭には 中国人移民達が放棄されたタロイモ畑を利用して 稲の栽培を始めたと言われています。

さらに1860年には南カロライナ州から輸入された種籾がしっかりとハワイの水田に根付き 収穫が安定し始めます。

1862年には ホノルルにハワイで初の精米所が建設されます。

1887年には ハワイからのお米が輸出される様になります。

1899年 お米の生産規模が ルイジアナ、サウスキャロライナにつぎ 全米第3位になります。

19世紀末から20世紀にかけては、ハワイでお米を作るコストが高く 結局アメリカ本土からのお米がハワイに入ってくるようになり またサトウキビとパイナップル栽培が主となり大きな利益を得られる様になった為 農地や水資源は 優先され お米の栽培は後退していきます。

1930年代には 小規模ながらも稲作は続けられていましたが第二次世界大戦後には急速に衰退します。

ハワイ最後の商業稲作農家は1960年に閉鎖され ハワイのコメ産業は事実上消滅してしまいます。

実は、先日 家族ぐるみでお付き合いのある日系3世の佐々木さんから 1枚の写真を頂きました。

佐々木ファミリーが以前所有していた水田の写真。遠くにはワイアナエ山脈が見えます。

この貴重な写真が ハワイの歴史の1枚なんだなぁ~と思うと鳥肌が立ちます。

多くの元年者と呼ばれた移民の人々の努力とたくましい精神力と愛情によって生まれたものがハワイには沢山あります。佐々木ファミリーを始め 多くのお米農家のお蔭で ハワイでもおむすびという言葉が普通に使われるようになり、スパムむすびもハワイのローカルフードとして広がって行ったのもその一つ。

感謝の気持ちしかないです・・・